見るな、ただ応答せよ

住友文彦

イタロ・カルビーノは1972年の著作『見えない都市』[1]で、皇帝が自分で把握しきれないほどに膨張した国に存在する数々の都市についての記述を、分類カードのようにして列挙してみせた。それらを、ただ次から次に各都市の特徴を並べているだけである。それらは、マルコ・ポーロの語りという形式をとっており、それを聞く皇帝はただ話しを促し続けるのだ。綿々と続く語りはそのまま小説の記述として、読者にも聞き手として皇帝と同じポジションを与えている。都市と都市の間の関係や上部構造として読者に示されている物語はないといってよい。したがって、この書物を読み終えた読者が、なんて広大な国を築き上げた皇帝がいたのだろう、とか、都市とはそれぞれ実に様々な形態や歴史を持っている、などと考えることはまずない。読み進めるうちに忘却のなかへと消え去ったある都市への追慕を認めるか、堆積していくテキストの膨大さに眼を眩ませるか。いずれにしても何が書いてあるのか、よりも、どう読むのか、という読者としての自分が炙り出されていくはずだ。
この小説の記述方法と同様に、私たちは普段は意識することさえない数限りない「見えない出来事」に囲まれて生きている。なのに、急激なメディアや科学の発達は、それらを次々に顕在化させて、知り得ないような世界の出来事を「手に取るように」可視化させているようにみえる。遠い場所で起きている紛争、政治家や芸能人のゴシップから遺伝子情報の解読まで、知り得なかったものが知り得るものへと次々に換えられていく。大勢のマルコ・ポーロが、一般の市民へ溢れかえる情報を報告してくれる時代である。その多くはモニターや紙面から切実さや新しさを訴えかけてくる。それらの情報は切実さを装ってはいるが、なぜか次々に私たちの脇をすり抜けていく。観察者として、マスメディアを通して語られる世界に自分を接続して考えることなど、ほとんどない。
カルビーノの作品が、現実として進行している情報化社会のアナロジーとして読める可能性は魅力的に違いないが、私たちは皇帝のようにひとつひとつの報告を辛抱強く聞くことなどないのだ。自分とは関係のないことが、沢山世の中で起こっているという感覚が私たちを支配している。
現代のマルコ・ポーロ=マスメディアは、読者=観察者に自己参照の機会を失わせた。その典型的な例をひとつあげよう。1980年代の後半に日本では、オタクという言葉で、情報としてやりとりされている記号を巧みに操作する能力を肥大化させ、自分と外界とを結ぶことを拒絶する傾向のある人を指し示した。多くのオタクは、あちらとこちらの区別が明確で、特定のものにしか関心を示さず、自分自身を含め、関心の外にあるものには徹底的に盲目的である。
しかし、世界はあまりに雑多で、本質的には自分とは関係ないのないものだらけである。『見えない都市』の記述が、本筋と呼べるような物語を欠落させ、意味のない描写を繰り返しているように。オタクは、自己と他者との間に勇敢に境界線をひき、複雑さを引き受けずに世界を完結させる。
北原愛の作品で、逸話的なイメージが複数重ね合わされていること、扉や門に仕切られた迷路の形をとっていることは、単一の視点による俯瞰が不可能で、様々な出来事が異種混交した私たちを取り巻く世界を思わせる。そして、鑑賞者は、そのなかへと足を踏み入れる。投影されたイメージのなかに自分の影を重ね合わせたり、空間を行き来する。その結果、自分の行為が明瞭な意味を持つことはけっしてない。トランジット、中間状態のまま、彼(彼女)は取り残されるであろう。
進むべきルートを決められていない空間の中を歩く感覚に対しても、不自然に自らの身体をねじらせることで、自分の身体感覚を得る機会を与えているようである。ただそこにある世界に、身を置いているという感覚を。
中間状態は、世の中の複雑さへ意味を与えたりするような志向性を回避し、受動的な態度をとることを要求する。一般的な社会生活において、中間状態はまれにしか存在しない、といってよいだろう。人々は境界線を明確にすることに躍起になり、その内側で自分が果たすべき役割に依存する。しかし、依拠するものがなければ、その都度その都度、自分の位置を確かめるしかない。複雑さや異種混交性は、このように経験的なものである。眩暈をすること、茫然自失となることの受動的な経験のなかに、世の中の複雑な豊かさと自分の身体をつなげる契機があるのだ。複雑な世界が、ただそこにある、と言われただけではなく、そこに身をおいているという経験的な感覚が重要なのである。

境界線は、しばしば何かに対する責任によって決定されている。それは、例えば、国家、習慣、仕事、ジェンダー、お金、祖先などに対する責任として領域が定められているのだ。あらかじめ与えられている責任を果たすことは、何かを見限ることでもある。その外側にある出来事をその都度捨て去りながら、選択を実践する。国家間の衝突では、個人的感情を捨て去り、国民としての役割によって利害を計るべきとされる。
いっぽうで、今日もどこかで起きている紛争が、どれも「終わりがない」「目的がない」としばしば修飾されるのは、ある意味当然である。なぜなら、誰も片方の優位性を信じるきることができずにいるからだ。境界線の向こう側への想像力が働けば、向こう側への行き来を遮る境界線の機能について誰もが疑問を持つ。イスラエル兵であっても、侵攻するパレスチナの街に無垢な子供の姿を見れば、自分の国家に対する役割を疑うことがある時代なのだ。同様に、社会的なルールから外れているとされる存在、例えば難民やホームレスなども、私たちは意識のなかから除外して生活していくことなどもはやできなくなるのだ。
様々な境界線を横断する運動によって、自分の位置を確認することは、政治的な問題であると同時に私たちの知覚の問題でもある。人工知能の研究では、ロボットに判断をする能力を与えるためにあらゆるケースを想定したプログラムを搭載させることは不可能であると考えられている。特定の条件の中でしか機能しない人工知能は、基本的にただの機械である。予測不可能な事態に対応する能力を、人工的に作り上げるには、外界から受け取った情報によって次から次に行動計画を書き換える方法が適している。依存すべき包括的なプログラムはなく、出来事の連続に対応できることが優先されるのである。この応答可能性[2]こそが、出来事の境界線を必要としない私たち人間が本来持っている知性の再生として求められているのではないだろうか。
中心的価値が崩壊し、境界線が曖昧になること、つまり中間にいること、とは、あらゆることから逃れられないということである。当事者であり続けるのである。境界線に囲まれていれば、責任の範囲は定められている。外側のことなどお構いなしである。しかし、宗教や信条が違うものが傷つき、倒れていれば、その姿にまったく個人としての感情が突き動かされる。そのことが固定的だったはずの境界線を無効にさせる。定められていた責任の座から、応答可能性という身体的な態度を生じさせることはけっして容易なことではない。しかし私たちはそのような知覚の準備を進めていく必要があるのではないだろうか。

図録『AïKitahara1992-2005』(2006年出版)収録

[1] – イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』(米川 良夫訳、河出書房新社、1977年)
[2] – “response”(応答)と“ability”(可能性)から成る、という解釈による,“responsibility”の日本語訳

アートのモデルとしての建築

ラーマ・カザム
2019年

ピーター・オズボーンは著書『Anywhere or Not At All』で、19世紀には“絵画”が芸術を指す言葉だったように、1960年代には“建築”的なものが、新たに芸術を指す言葉になったとはいわないまでも、芸術のモデルになったと主張している。つまり、“建築”は今では建物の設計、建造といった実践に留まらず、芸術の空間性の一形式になっており、その形式においては、発想が特定のものに縛られることなく、多様な素材と形態で表現――または、空間化――されるようになっている、というのだ[1]。 建築が芸術のモデルとなり、枠組みとなりうるという発想は、フランス在住の日系アーティスト、北原愛の作品にふたつのレベルで深く根付いている。あるレベルでは、相互に関連し合うシリーズ作品を様々な素材と形態を用いて制作しているという意味で、また、それとは別のレベルでは、建築の重要な前提条件や構成原理を参照し、疑問を投げかけて再公式化するという意味で、北原はまさにオズボーンのいう芸術の空間性を実践している。
《空中の家》(2017年)という、『オズの魔法使い』の空飛ぶ家を鑑みた作品を考察してみたい。建物は重力から逃れられないという前提に異議を唱えるように、この家は文字通り空中に浮かび上がっている。さらに、横浜市の様々な地区をベースにした架空都市のモデル、《浮揚する街》(2018年)は、重力という足かせから解放されており、コンスタント・ニウヴェンホイスが《ニュー・バビロン》プロジェクトで提案したような、社会的交流および社会的交換の新たな形を示唆している。ニウヴェンホイスは、《ニュー・バビロン》プロジェクトで、地上から浮かんだ連続する構造物を用い、創造的行為というノマド的なライフスタイルに基づいた新たな文化を提唱したが 、北原の《浮揚する街》にはそれに通ずるものがある[2]
建築がアーティストにとってモデルであるとすれば、個々のアーティストによってその解釈は異なる。オズボーンは、保守的な作品群と先進的な作品群を区別して考察し、レイチェル・ホワイトリードによる、ロンドン市内の家屋内部を型取りした作品群は、既存の形式が互いに共存するモダニズム彫刻の再来とみなされるだろうが、ゴードン・マッタ=クラークの急進的なまでにカテゴリー横断的な仕事は、既存の形式を批判し、効果的な緊張感を生み出す、としている[3]。 マッタ=クラークは、《円錐の交差》(1975年)で、解体が予定されている集合住宅の建物の壁に大きな穴を穿ち、既存の建築規範における緊張と反発を露呈した都市に向ける新たな視点を提示した。北原愛の空中に浮かぶ作品も同様に、そのような反発を露呈しており、ホワイトリードではなくマッタ=クラークの作品と共鳴する。
北原愛は、家や都市などの完成した建築のみならず、建築を象徴する構成要素である壁とも向き合っている。《Apesanteur(無重力)》(2019年)は、“apesanteur”というフランス語の単語をつづる文字で構成されるが、それらの文字は壁に半分埋まっている。つまり、どの文字も一部だけが壁から突き出していて、外側と内側、私と公の違いを、さらにそれらが文字だという点に着目すれば、意味を成すものと成さないもの、読みやすいものと読みにくいものをも際立たせているのだ。ここでは、壁はもはやただの仕切りではなく、熟考と拮抗の場となっている[4]
他の作品は、仕切り、境界および壁の社会政治的な意義を探究する。例えば、《Eruption(噴出)》(2019年)という作品は、北原の出身地である神奈川県の形を幾重にも重ねたらせん状の構造だが、境界線が何かを隔てるものでなくなり、政治的要素を切り離され、もっぱら実用性を排除した意匠となっている。同じシリーズの《白い境界》(2016年)という作品は、崩れかかった白いレンガの壁で構成される。白い壁は、二本の川が合流するあたりの河岸をなぞっており、人が定めた境界線は川が作り出した自然の境界線に比べるとずっと脆いということを暗に示している。一方、同じシリーズの作品に、透明のガラスレンガを採用したものがある。ガラスレンガの壁は、向こう側で起こっていることを隠す力を奪われる一方で、壁というものが通常の機能的な役割から解き放たれるとき、平等主義的になれるということを指摘している。オズボーンが指摘するように、建築が現代アートの批評性に寄与するのは、単なる空間ではなく、ジル・ドゥルーズのいう“任意空間”に類するものである。つまり、なにものにも規定されない結びつきができるところに可能性があるのだ。
北原愛の建築規範への抵抗は、さらに遠回しなかたちをとることもある。《昇華》(2016-2017年)は、多くの磁土の滴が上に向かって垂れる作品で、重力に抗うというテーマを建築から離れた表現に置き換える。その一方で、折ってから広げられた折り紙のモデルシリーズ(2013-2014年)は、さらにもうひとつの建築的なキーワードである“形”の永続性に疑問を投げかけている。折られていた形の折り目は残っているものの、もとはどんな形をしていたのかを確認することは不可能だ。最後に、《一人用の建築》(2010年)について考察しよう。この作品は、極限までそぎ落とされた球形の構造物だが、また別の形態と素材を用い、北原愛の作品に共通して取り上げられる問題を反復している。つまり、有形と無形、公と私、内側と外側といった、建築に内在する区別にいかに挑戦し、建築をいかに自由にして制約から解放するかという問題を提起しているのだ。


[1] Peter Osborne, Anywhere or Not at All, London and New York, Verso, 2013, p. 141-142.
[2] See https://stichtingconstant.nl/new-babylon-1956-1974
[3] Peter Osborne, Anywhere or Not at All, op. cit., p. 145.
[4] Ibid., p. 149.

国境、境界、地図:見えざるものの位相と位相の創り出すオブジェ

イザベル・エルサン
山根祐佳 訳

フランスの地図を手に取ろう。地色は青、森と山は緑。そこを横切る曲がりくねった道路。フランスとベルギーの国境の両側に並ぶ村々が、二国を分かつジグザグの線とともに、はっきりと見てとれる。

黄色い点が示す個々の村は、実際に横切ってみると、ひとつひとつ異なっていると同時に似通っている。ある村と村を結ぶ道路、道路の先にある村の名を告げる標識、レンガ壁の家々、広場、通り。そして再び、木々に囲まれた道路が次の村へと続き、村の家々、広場、通りはどんどん国境へと近づいてゆく。もっとも村の手前や村を出たところ、あるいは村を結ぶ道路上でいつのまにか国境を越えてしまっていない限り。

フランス、ベルギー間の本当の国境越えは、想像の領域で行われる。越境という行為は、地図上に赤い線で表される目に見える線としての国境を無効にし、国境を不可視とするゾーンへと国境そのものを変質させるのである。そうすることで、決して遭遇されることのない境界を含む空間の横断は、存在しない場所の概念を、場の喪失―失郷症―の表象として、または見えざるものの位相の表象として示唆するのである。その観念は、目の前を過ぎ去るものを捉えた映像を、単純と言ってよければ、単純にほどいてゆくことによって、突然可視化するのである。

フランス側の最後の村とベルギー側の最初の村を隔てる数キロの距離を毎日走るバスから撮影されたような風景が、モニターのスクリーンに次々と立ち現れる。スクリーンの前に立つと、風景を撮影した視線と同じように、あたかもバスの窓際で、風景が通り過ぎるのを見つめているようだ。映像は催眠作用をもたらし、いくつかの音を際限なく反復する回転木馬のメロディーが、その効果をいっそう強くする。

この繰り返されるメロディー、リットルネッロは、木の馬に子供を乗せて回転させる木馬装置のあるパリのとある公園で録音されたものである。このメロディーが風景の映像とともに延々と繰り返される。時にかん高く、時にメランコリックに繰り返される環状の音が、国境を通りすぎても、止まることも、区切られることも、リズムを与えられることもない線状の行程に、まるで幾何学的に呼応する。音楽は、行程を区切り、リズムを与えつつも、この触れ合いも対話もない旅の時空間の行程を決して止まらせることはない。

語りも顔も現れない移動の連続『回転木馬-国境』は、これまでに作家が制作した3つのビデオ作品のなかでもっとも最近のものである。このビデオ作品は、体積と面積を巡る芸術をよりはっきりと結晶化させる。環境インスタレーションまたは建築模型、再生産可能な人工物や、オリジナルなドローイングにせよ、北原愛の作品は、ここ、そしてここではないどこかで、内と外の間で常に展開される間(ま)の位相を映し出す。

(正面からの)抱擁と(身体の)拘束

建築図面が、これから構築されるものを描くがゆえに、見えざるもの表象であるように、北原愛の装置は、間(ま)や周辺、極限、縁(ふち)といった存在しない場所から捉えた世界を構成する。つまり存在しない場所とは、現実世界を生きる身体にとっての通過点である。

2002年に、北原がフランス東部の農地に設置した屋外迷路も同様である。外側から内部が見通せる格子をベースにしたこの作品は、そこに拘束される身体をあらゆる視線にさらす構造物である。『キッシング・ゲート・ラビリンス』に挑む者は、拘束としての限界――この拘束は、限界が、観念としての位相との境界ではなく、目に見える囲いそのものである刑務所のような場における強制的拘束である――に出会い、それが二重の意味での試練であることを知る。

そこに迷いこむ者は、出られるのかどうかさえ示されていない罠にかかるだけではすまない。もうひとり別の誰かがそこにある同じ作品に挑めば、もうひとりの自分との逃げ道のない対立に直面することになる。自分のことを気楽なフラヌール(遊歩者)だとばかり思っていた観賞者は突然、さしたる距離もないところの他者に行く手を遮られる。彼にできることは、目の前の風景を抱くように見つめる視線に習って、同じ境遇の人、同じように罠にかかった人を「抱擁」することだけである。罠の中では、一方が他方の視界を奪い、視界とともに内的な思考さえも遮られてしまうのだ。

もうひとりの自分とは、自分と同じようにこの迷路に迷い込んでしまったまったくの他者、自分と同じように、『キッシング・ゲート・ラビリンス』がかざす唯一の透明性の論理を探ろうという考えを持った、他者の名である。透明なこの迷路は、その「内部構造」が目に見えぬままであるからこそ、よりいっそう透明なのである。固定された柵と可動式の柵からなる装置は、罠としては単純であるが、その内部に人を幽閉することにより、外在する場として機能するという点では、複雑である。

白日の光のもとにさらされていても、この装置は、まるで何も見えない暗闇の中のように手探りの試行錯誤を強いる。2歩前進、3歩後退、散策していると信じていた観賞者は彷徨い、身体は何度も同じ動きを繰り返す。その動きは柵が定める狭い境界に閉じ込められ、観賞者は生に対する絶大な力の認識の虚しさと立ち向かう。隷属を強制する権力を前に、何をしても無力であることに思い至り、装置に入り込むやいなや下僕のようになった観賞者は、その歯車のひとつでしかなくなってしまう。

これが『キッシング・ゲート・ラビリンス』に閉じ込められた者の最終的な体験である。作品が設置されている場所の牧歌的な広大さから見れば取るに足りないような『キッシング・ゲート・ラビリンス』の空間は、予防接種の際に動けないように家畜を閉じ込める柵を模したモジュールの組み合わせからなる。この牛のためのミニマルな囲いを増殖させることによって幾多の「隔離房」を作り、それぞれの観賞者を他者の監視下におく。北原は、他の作品においてと同じようにここでもまた、一望監視システム―パノプティコン―のフーコー的構造を作り出す――言い換えれば、それは近代刑務所の建築装置であり、監視の「原構造」のもとに現代社会を生成するのである[i]

おそらく、より思いがけなく、しかしながらフーコーのエピステモロジックな分析と極めて同位相にあるのは、北原の作品が思わせるカフカの文学的思考であろう。偉大な小説『審判』の訳者によれば、「『審判』の世界は、裏切る見せかけの世界である、しかし、その世界は、見せかけが見せかけにすぎないと告発され崩壊するとき、そこに隠されていた真実が暴かれることはなく、そこにもうひとつ別の見せかけが立ち現れるという特殊性を持つ。もうひとつの見せかけもまた、最初のものとまったく同様に「自然で本当らしく」、また「もっともらしい」、そして同時に「ありそうもない」見せかけである」[ii]

Kという文字または関係の戯れ

このカフカの世界は、逆境にある人の置かれている状況を思わせる。扉と囲いによって閉ざされ、それを乗り越えてもまた別の扉と囲いがあるだけ。風景の線状性が音楽の環状性と関連づけられるように、この日本人アーティストの「原立体作品」の不動性とチェコ人作家の語りの動きを関連づけることができる。この対立は共通の弁証法への収斂を可能にする。それは、自らが構築し、自らを閉じ込めることになる構造からの疎外の弁証法である。

さかさまの階段、円柱-国境、牢獄城砦の基礎や遺跡の図面。壁につるされた一連のデッサンとともに北原の作品が提示するのは常に、経験することのできない場所に関する問いではないだろうか。水彩で彩られたデジタルな印刷物は、実現されていないものも含む過去の作品の素描である。それらの作品は、創造行為が偶発性をその断片として備えているため、未完の作品の不確実な支持体であるひとひらの紙が記録する、存在しない場所のもうひとつの表象である。

存在の不確実性が断片として残してきたものを、あるひとつの完全な作品として創造するということは、断片を繰り返すことに過ぎない。未完の物語である『万里の長城』、皇帝の全体主義による建設途上の軍事防衛の建造物。長城は、守るべき民衆を孤立させ、「拘禁」さえする。そして名作『城』。名も権力ももたないひとりの男を犠牲に、没落の途上で留まる名と権力を失った貴族の砦。カフカの作品においては、碑や建造物の提示は、たとえそれが作品のタイトルに現れないときでさえ、重要な意味を持つ。最終的な彷徨のふたつの場を結ぶ階段や世界との断絶の場としての大聖堂もまた同様である。

人間性を奪う行政機関の制度の罠。そこでは全能となった公務員たちもこの制度に隷属化している。その罠に捉えられたヨーゼフ・Kのパラダイムを通して、登場人物たちは内在する迷路における孤独の中で変化する。北原の作品においても、この出口のない通路が、現実世界における想像上の形態を再生産する。世界が我々に課す限界によって自らを規定する前に、我々は、世界に対して抱いている恐れに対して、自らに限界を構築するのではないだろうか。「原内在性」である人間にとって、自らの手で自らのために作り上げた「原外在性」としての世界は、事実、このパラドックスに対応している。これは、我々の恐怖の原因であると同時に、疎外されてもなお、自らのイメージとして作り上げたものだからこそ、その恐怖の認識を保証されている我々を安堵すなわち退屈させるのだ。

我々が我々自身の内面に構築する限界、そして、世界を我々の世界として内在化することを可能にする限界に従って構築された世界。すなわち世界は常に我々による破壊を運命づけられているのである。そして我々は、常に我々に内在する恐怖と拘束の描く唯一で常に同じ設計図に基づいて、世界を再構築する。そうすることで世界は、権力の主体であると同時に奴隷化の対象である我々が、何であるかを教えてくれるのではないだろうか。

青でも緑でもない、死のように沈んだ色によって区切られた行政空間の灰色は、世界に共通である。そこでは番号や名前、検印を待つことで生きることは中断され、積み上げられた書類の迷路の中で行方知れずの書類上では、番号、名前や検印は足りないか、多すぎるのである。この存在しない場所の特徴のない色と同じように無名であるのは、孤独な二人がけの青緑の椅子。北原は、これによって、グレー地の作品の白を際立たせる色彩の戯れと決別する。

(通過)ゾーンと(分割)線

『Border-Chair』は、そのタイトルにもかかわらず、何よりもまず扉である。つまり、たとえ東京で、一時的に作られた壁に展示されているときでさえ、それは2つの室内空間の行き来を可能にする扉である。パリで北原は、その場特有の機能的なオブジェとして制作したため、この作品は廊下と彼女のアトリエを隔てる扉そのものとなった。

中心部がきれいな長方形にくりぬかれた扉には、板材でできた肘掛つきの椅子の座面がついていて、扉のどちら側からでも座ることができる。たったひとりで、薄暗く閉じられた空間である廊下、日常に点在する要素を寄せ集める外と内を結ぶ通路に顔を向けて。あるいは、ひとりでアトリエである開かれた明るい空間、創造のために集められた要素を受け入れる空間に向かって。

常に孤独なのは、自分が観賞者であると思い込んでいる「視る人」である。『キッシング・ゲート・ラビリンス』でのもうひとりの自分との対面の試練を経て、今度は背中合わせという分断によって、もうひとりの自分と接近することになるのである。もうひとりの自分は、自分と同じように存在しない場所としての境界を体験することを望み、「扉-椅子」の向こう側に座っている。昨日の迷路でも、今日のこの境界線の上でも、自分と同じような人、もうひとりの自分と出会うことはできないのである。この「内的オブジェ」が、いくら身体の存在を要求しても、それを身体によって満たすことができないように。また、敷居の持つ通過の場であるという機能を無効化することなしには、その上に留まることができないように。扉という機能を無効化せずには、椅子に座ることができないように。

扉という本来動くものが、動かないものに変えられることによって、不条理な存在になっている。扉は、ある場所から、その向こうに隠されている別の場所への移動を可能にするものであるが、扉が椅子になることで、両側に開かれているにもかかわらず、移動を不可能にしている。こちら側からあちら側へと導くかわりに、この一時的な安息の場は、こちらとあちらの間で立ち止まることを要求する。あたかもある橋の上で留まることなく立ち止まるように。橋とは、外的境界によって区切られたふたつの空間の間(ま)または連結の場であり、それらの空間を隔てる境界の内部は落ち着くべき場ではない。このことが、この作品のタイトル『Border-Chair』が示すように、この作品がどれほどまでに扉ではなくなっているかを物語っている。それを開くことは、敷居を越えるかわりに、境界の位置を変えることになるのだから。

そして、境界を移動するという行為は、線または描線を、ゾーンあるいは面へと変換することであり、限界のこちら、またはあちらへ敷居を移動することは、それまでに存在しなかった空間を作り出すことである。それは、『回転木馬-国境』で無場所的なゾーンとして横切られた地理学的な境界線についても同じである。そのゾーンそのものが横切るものは、分断の線、地図上に赤く引かれた線。その線は、不可視の越境行為によって想像の世界に消えていく。

ハイフンあるいは環の効果

目に視えるものとして、意味を与える名前と作品の関係は容易に現れる。北原が作品タイトルの二つの単語を結ぶためにハイフンすなわち「結合線」を用いる頻度と、彼女が空間的に捉えた「分離線」としての限界の頻出は、巧妙で強固に結びつく。徒歩で横断されるよう作られた、フランスの6つの国境の地図上の面を幾何学的な表面積へと置き換えた6つの立体作品。『15mの国境』は、これらの作品すべてに共通するタイトルであり、引き続き特定化される。繰り返される『15mの国境』は、『フランス-ベルギー』から『フランス-スペイン』まで、それぞれ異なった最終部を備えているのである。

ベルギーだけでなく、ドイツ、ルクセンブルグ、スイス、イタリア、スペインが境界線によって提示される。それらはすべて決して出会うことはない限界の空間――北から南までいつも同じように森か山――であり、大陸の国々は、国境の存在にもかかわらず、不可分の総体として組織されている。事実、国境は、地図上で描線によって地政学的に切り取られた風景を示すことはできない。そのため、地面に置かれた正方形や長方形の立体作品は、はっきりとした区別ができないような未分化の外観を備えている。曲面は似通っているが、切り立った表面の面積はそれぞれ異なっている。これらの作品はすべて、地図上の国境に従い北原が制作したものだからである。

それらの作品が描きだすのは、もはや地図に引かれた線ではない、我々の足跡の下の想像上の道程。それら6つの国境空間は、隣接するふたつの国に渡って点在する村々に似ている。唯一であり、なお似通っているこの6つの作品は、起伏に富んだ同じような曲面を呈していて、その上を歩く観賞者は、その線ではない広がり、目には見えない国境の広がりの上をジグザグと歩かされることになる。自らを測量技師のように思っていた観賞者は、小石を敷き詰めた橋を渡るように、6つの境界画定線の空間を横切る。あるいは、6つの断片に分割された、もともとひとつの土地の褶曲からなるはずの連合体の内部の分離帯の上を。6つの断片は、単なる、と言ってよければ、存在しない場所の単なるもうひとつの屈折形である。

 

イザベル・エルサン
美術評論家、パリ第8大学講師(芸術哲学、写真分析担当)、パリ第1大学講師(現代美術史担当)。


[i] この分析については以下の拙論を参照されたい。« Aï Kitahara. Scènes de surveillance au pays des merveilles », Hors Champ (Montréal), revue en ligne de Société, médias et cinéma, <http://horschamp.ca>, avril 2002. (「北原愛、不思議の国の監視の情景」、『オール・シャン』(モントリオール)社会、メディア、映画をテーマとするオンライン雑誌、<http://horschamp.ca>、2002年4月)
[ii] Bernard Lortholary, Le Procès, Paris, GF Flammarion, 2006, p. 15.(ベルナール・ロートラリ『審判』序文、パリ、GFフラマリオン社、2006, 15ページ)より引用。

図録『How we divide the world』(2007年出版)に収録された文章

北原愛、魅惑と囮(おとり)の狭間で

ジャン-シャルル・アグボントン-ジュモー
西山雄二 訳

0.0 北原愛のすべての作品は罠または囮(おとり)である。この二つの語は策略、さらには嘘という語の類義語である。すなわち、彼女の作品は、この語の全幅の意味で、観客の好奇心を暴き出すべく仕組まれた物理的ないしは視覚的装置なのである。それらの装置はインスタレーション、もしくは、英語風にdistributed sculpture(配置、配役された立体作品)と呼ぶのにふさわしいものである。

0.1ラテン語で好奇心(curiositas)は、第一に何らかの事物への配慮や関心である。この治療的(curative)、司祭的curiale)とさえいえる感興は、フランス語では、新しい事物を習得し、その知識を獲得し、認識するという傾向によって影をひそめている。この傾向はさらに、窃視とはいかないまでも、無遠慮さという意味にまで変質しうる性向である。また、好奇心をそそるものは、好事家や、美術のとも言える愛好家に探し求められる対象でもある。この言葉の語義領域が含むのは、否定的かつ軽蔑的な側面だけでなく肯定的かつ称賛的な側面でもあり、つまり、好奇心とは曖昧で両義的なものなのである。それゆえ、北原愛の作品は異なる次元で好奇心をかき立てると同時に、作品それ自体が好奇心の特性を備えているのである。

1.0 北原愛が気を配るのは、何よりも、ありきたりで平凡な、言ってしまえば価値のない諸々の事物や状況である。つまり、日常的な消費の対象、極めて所帯じみた生活背景である。例えば、ビスケットやアイスクリームのコーン、画鋲、紙やすり、ごみ箱、口紅、グラス等々、また、ある程度秘められた私的ないしは公的な場。こうした諸事物に彼女は無邪気な視線を投げかける。この視線によって、それらの事物の中で――もしくは諸事物の間で――原始的、始原的なものとは言わないまでも、いずれにせよ原型的なもの、さらに言えば端緒を開くものが呼び起こされ、再び覚醒する。それは、こうした事物が抱える豊穣さと平凡さが鈍らせ、抑圧しがちなある種の奇妙さ、ある種の不思議さだ。だから、作家(北原)にとっては、これらの事物の最も些細な部分でさえもが虚偽である。何しろ、こうした事物の無名性は夢幻的あるいは超現実的な驚くべき位階に潜在する真実をすっかり隠しているのだから。この見地からすると、いかなる事物も結局、囮あるいは罠なのである。

1.1ラ・ロシュフコーによると、「装われた虚偽こそが真理をうまく表しているのだから、これに欺かれたままにしておかないのは悪しき判断である」[1]。となると、北原愛の場合、偽装された真理こそが固定観念化された事物や公共の場でよくまどろんでいるのだから、これを語らせるままにしておかないのは悪しき行為である、ということになろう。というのも、いかなる人工物もそれぞれのやり方で彼女に物語を語っているのだから。それは、これらの事物が人間性あるいは個人の幼年時代の驚嘆する目に対して装ってはいるものの、時が経つと脱ぎ捨てられてしまう情動的負荷の物語である。そうしながら、彼女は過去も未来も欠いたこの時代を引き合いに出す。未だ物事が真実でも虚偽でもない時代、善悪が表裏一体であるようなこの時代を。なるほど、これは夢のような時代なのだろうが、一体何ゆえにこの時代は比類なき両義性を明確に顕わにするのだろうか。驚嘆や感嘆が恐怖や怖気から切り離すことができず、禁止と侵犯、窃視と観察、好奇心と残酷さとを切り離すことができない、そんな両義性を。北原愛のインスタレーションの奇想天外な発想の鍵はここにある。この鍵は、―昔々あるところに…―といった物語の予告や発端さながら、「問答無用なまでに別の時空へと隣接している。この鍵こそが想像物と虚構を形容する天真爛漫な手段たる嘘を告示することができる。ある語り手が明言したところによれば、『上手に嘘をつかなくてはならない、それが真実なのだから』」[2]

1.1.2 『リトレ仏語辞典』では、罠と囮という言葉を例証するための最初の引用文がまさにラ・フォンテーヌの寓話から引かれているのだが、ここに偶然をみてとるべきだろうか。

2.0普遍的な物語とはいわないまでも民間の物語や寓話によって魅了された空間で、もしも嘘と真実が同等なものだったら、時間は循環的となり、一切は可逆的になる。両義性はこのように諸々の事物や場の反転可能性や相互的置換を許し、これらを手袋のように裏返すことを可能とするのだ。

2.1 このために、つまり罠を仕掛けるために、作家はまず諸事物を元のコンテクストから抽出する。彼女は諸事物を普段の機能や使い方から逸脱させながら配置し配分する。かくして「鬼は内」[5]では、大量生産のアイスクリームのコーンがショーウインドー全体を覆う。また、市街用ごみ箱がギャラリーの真っ只中に設置される[21-23]。さらには、私たちフランスの風土にはまだ知られていない器械[12-13]、トイレの中で日本人の聴覚的羞恥を保護するためだけに特別に構想された器械……。

2.2 実際、「赤頭巾」[20]で実証されているように、中を空にした口紅がその中身で覆われることで、宿命(ファタル/fatal)と糞(フェカル/fécal)は韻を踏み、同じ一つの事物の二つの側面を構成する[i]。紅は通常、女性的魅力(appas)の一つを強調する為に使われるが、この紅が囮(appât)であることがこの語の二重の意味にしたがって明らかになる。一方、市街用ごみ箱からあふれ出す純白の蚊帳[22-23]はいわば、「彼女の独身者たちによって踏み付けられたとは言わないまでも里に帰された花嫁、さえも[ii] とみなされるだろう。というのも、観客はいわんやそれを踏みつけることをためらい、いわば、床に直に広がる薄く軽い蚊帳を汚すことを躊躇する。つまり、いずれにせよ、観客は罠(piége)に落ちる事をほぼ文字通りの意味で懸念するのだ。この語はラテン語のpedica(「足を縛るもの」)に由来するのだから。

2.3 「不快な事物に我々は魅力を感じる」とボードレールは言った。だとすると、北原愛の作品においては作品と同じ数だけの罠が見出される。もしも「夢と同様、物語が隠しているはずのものが幼児期の起源である」[3] ならば、彼女のインスタレーションはしばしば幻想を、つまり私たちの意識的な知覚から隠蔽されている面を隠している。そのために、彼女の作品は必ず二回見るのがよい、あるいは、何が問題なのか――このフランス語表現を文字通りにとれば、まさに«何が裏返るのか»となる――を見に行くのがよいだろう。「鬼は内」[5]の反対側は、まず窪みとして現れ、次に私たちは無数のアイスクリーム・コーンのレリーフが、当然透明であるはずのガラスのウィンドーを覆っているのを察知する。なるほど、たくさんの男根でもあるたくさんのコーンは、通常は反対方向から消費されているのだ……。彼女は画鋲を逆向きに設置することによって、壁紙を装飾するバラの棘を視覚の及ぶ限り蘇らせる[6]。同じように、「もう一つの内側」[16-17]は立体パズルの可逆性と駆け引きをしている。このパズルが功をなして、一方では家屋の通俗さ加減(キッチュ)と現実味ある«田舎調»と、他方では建築の模型やミニマルアートの彫刻の«陰鬱さ加減(グリザイユ)»の間に均衡関係が築かれている。ところで、もし内側が外側に対して価値があり、その逆もまた然りならば、彼女はポケットミラーの「鎧」[26-27]によって、要するに見えるものと見えないものの混合を――完全に達成されることはないとしても――試みる。実のところ、「些か子供じみた方法で鏡を通り抜けようとして落胆している人達に秘密を打ち明けましょう〔…〕、[鏡の裏面に塗布する]錫(すず)合金を体に塗り、それで化粧して、鏡の前で自分を見張ってごらん」[4]、という次第なのだ。

2.4見えるものと見えないものが重なり合うために鏡を騙さなくてはならない以上、作家は無限に続く入れ子構造[iii]を利用することになる。総称的な人型のシルエットで切り抜かれた衝立(ついたて)がそれだ[28-32]。衝立は敷居や通路からなる迷路のように配置されている。訪問者はつまずかないようにしてこれらを通過しながら、入口と出口、裏と表、内と外、無声演劇の舞台と舞台裏――彼はここで場合に応じて受動的な俳優か能動的な観客となる――を見分けることがまったくできなくなる。

2.4.1たとえ肉眼では見えないものが完全に見えることはないとしても、別の感官の好奇心を掻き立てることで見えないものはそれでも感知される。「両棲類」[7]では、空のグラスにアルコールが――ただし«外側に»――入っていて、アルコールそのものを見る必要なく臭いだけでそれと識別される。その代わりスポンジの状態でこれに触ることはできる。ある日本人は恥らい深いあまりに、トイレの中で断続的に作用する音を介入させる事によって、自分を見えるがままにするとはいかないまでも、自分を垣間見えるがままにさせる。「水売り場(水の光線)」[5][12-13]は、滴り落ちる人工的な水音が耳朶に触れることによって、窃視が聴覚によってされ得る事を想定しているのだ。私たちが歩くすのこ板が想起させているサウナに入っていない限りは……。同様に、「ガラスの家」[11]でも触覚は視覚の代役を担っている。美術センターのホワイトキューブの中で展示されたこの作品には、壁を覆う、その白さで擁護されている紙やすり以外はまず何も見えるものがない……。しかし、作品のタイトルの建築的な隠喩(メタファー)の彼方あるいはその手前で、この内壁の触覚に重なり合う、食物に関する密やかな隠喩、つまり、どうしようもなく砂糖を想起させる隠喩に注意しよう。ここで喚起されている味覚は、ビスケットないしは少なくともその代わりをするもの――というのも見違えるほどに本物そっくりのプラスティック製なのだ――で実現された家の模型の作品における味覚でもあるのだ[14-15]

2.4.2 「語るとは食物を与えることである。それは完全なる口承性である」とある語り手は言っている。「言葉を摂取すること、口からではなく耳から吸収させることだ。語り手は言葉を内側から外側に通過させることで食料補給のメカニズムを反転させる」と、ニコル・ベルモンはさらに述べている[6]。北原愛に関していえば、彼女は物語の送り手と受け手の位置を逆にした。展覧会場にその捕われの身の残骸、つまり鎖と肘掛け椅子しか残されていないお姫様の物語がそれだ。いわば遅参者ともいえる訪問者が招待されるのは、この肘掛け椅子に座って、その無人の監獄で感じることを語るためである[10]。だから、お姫様の物語にけりをつける彼女の解放というエピソードが発端となっているのだ。さて、寓話の時代に時代の夜が時代の終りと合致するならば、出発点と到達点は互いに浸透する。「各時代それぞれの6個の箱」[25]と題された作品は、読むための郵便箱もしくは郵便箱のまわりの読むための手紙によってこのことを意味している。つまり、書かれた言葉は内側から外側に移行するのである。「海底の極楽」[3]では、数千の釣り糸が床から二メートルの高さに吊るされ、床を水の流れと同化させており、その下で目覚し時計が正確に六〇倍速く回転している。実際、釣り糸によって漠然とした脅迫感が漂っているが、それは、囮の不在が示唆するように、観客の潜在的な眼球摘出という脅迫感であろう。「アンチゴーン3部作」[24]も時間に対する慣習的な知覚を撹乱させる作品である。エンドレスに反復されるビデオ映像は、スーパーマーケットの入口で録画された回転扉とアントワープの海上交通を通じて、時間を見たり聞いたりする機会を与える。時間を狂わせること、我を忘れさせること、消費(とりわけ食品の)から解放されること、このインスタレーションが狙うのは特にこのような効果である。作品の中心にあるモニターは故障したかのように白い画面が続き、観客は幼児期の歓喜に満ちた非時間性へと送り帰されるのである[7]

2.4.3それゆえこの場合、語ることは、事物における言葉の具現化によって、観客に何でも信じ込ませること[iv]である。事物を幾分呆然とさせる無言の状態にある世界の過剰な語りであるといってもいい。それは幻想に対する眼差しを豊かに育むことであるが、このことをうまく証明しているのが、童話から着想を得た三次元の画像が飛び出す子供向け絵本を使って演出されている薄暗い劇場である[3335-38]。作家は絵本のすべての図柄を消して、スクリーン大の数枚へと還元する。次にトランジットの場所のスライド写真が投影される。その視野の中で観客は影と重なり合うと同時に影を纏った亡霊と化す、あたかもディビュタード[v] が自分自身のモデルであるのと同時に自分自身の愛人であるように。要するに、観客は影ノヨウニ移ウ[8] のである。観客ははかなさという言葉として具現化され、幽霊や亡霊の形象となる。まさに、はかなさという語が絵画にもたらす意味、「空ノ空、一切ハ空デアル」[vi](とどのつまり、一切は幻想にすぎぬ)という意味において。

3.0 「どこに入ってもどこに行ってもかまわないが、この小部屋だけには入ってはいけないよ」[18]において、訪問者は関連する異質な諸要素から成り立つ舞台装置によって罠にはまる。この装置は偶発的に視覚を誘惑し、隠喩に富んだ反発作用を含んでいるのだが、彼はそんな仕掛けの罠に落ちるだけでは済まされない。ここでは、作品という«公的»空間とエリコ・モモタニの以前のアパートという«私的»空間が混同される。その上、展覧会の招待状は、その実用的な性格にもかかわらず、演出の一部をなしている。この作品の要をなす«小部屋»の中を訪問者は歩き回るのだが、この部屋は展示空間を占めるべき多少とも中心的な作品[9]、周辺的・辺境的な作品[10] という機能をなすわけではない。そうではなく、この来訪が展示そのものと一体となっているのだ。さて、訪問者は渡された鍵を持ってアパートを上り、次に敷居を跨ぎ、小部屋の薄暗さの中を手探りし、やがて網膜がこの暗さを補正するだろうと期待する。この訪問者の行程は、いわば生中継しながらの体験によって自分を語るような物語――訪問によって喚起された両義的な憶測の物語――に一致する。物語の時間や作品の展示時間が展開される行為と完全に合致するのだ。作品展示の作者であり役者である訪問者は、招待状と同じカードに展覧会の逆字タイトルのスタンプを押すことで自分自身でこの時間に終止符を打つことだろう。もっとも、帰りがけに、建物の下ででこの経験を希望者たちに語るとするとすれば話は別だが[11]。北原愛はそれゆえ、極めて経済的な方法で、マイケル・フリードの「演劇とは様々な芸術の間に存在するものである」という豊かな考えを自分なりに裏付けている。そう、フリードは視覚的コードと言語コードの組み合わせの中にアンチ・モダンあるいはポスト・モダン芸術の演劇性の根源をみていたのだから[12]

3.1とどのつまり、北原愛の全作品は、時間と空間の可逆性に関するある程度妥当な憶測行為を構成する。彼女はこの可逆性の神秘を突き止めようとするのだろう。無意識は言語のように構造化されているというラカンの定式[vii] はよく知られているが、無意識の神秘でしかありえない、そんな神秘へと彼女は突き進む。しかし、言語の構造は構造の言語と同じものなのだろうか? この問いは留保したままにしておこう。いわば、罠――いかなる問いも罠を仕掛けるものなのだが――を罠自体に閉じ込めたままにしておきたい。ただ、日本語で空間を意味する«間(ま)»という語を想起してみよう。この語は物と物の間の一方向的ないしは排他的距離を示すのではなく、「空間に対する日本的経験を根本的に構成する要素。生け花で活用されるだけにとどまらず、その他あらゆる空間を構成するための秘められた要因をなす」[13]、そんな間隔を示す語である。この語に言及することで、北原愛をその日本的出自に一方的に帰着させようとは思わない。というのも、西洋人は統計的にみて「事物を知覚するが、それぞれを隔てる空間は知覚しない」のに対して、日本では「逆に、この空間が、間(ま)、つまり間隔を有する空間という語で知覚され、名付けられ、崇められている」[14] としても、エドワード・ホールと北原愛が各々の方法で証明しているように、やはり間(ま)そのものは、ただ文化的・歴史的違いないしは隙間として知解されうるものだからである。それ自体は知覚されず姿が見えなくとも間(ま)が差異そのものである場合に、間(ま)によってこうした違いや隙間はますます探り出される。換言すれば、間(ま)とは東洋/西洋、目に見えるもの/目に見えないもの、意識/無意識、フリードの言葉を用いるならば絵画/造形芸術, 論証/図形といったいかなる対立項とも同一化することなく、自己を挿入させ、自己を介在させる当のものなのである。したがって、いかなる文化や教説も、この間(ま)を産出し差異化するものを、一方のみ援用することはできないのである。


[1] 格言集二八二。
[2] Nicole Belmont, Poétique du conte, Paris, 1999, p. 62.
[3] Ibid., p. 63.
[4] A. Bonnier, « Le Tainsouverre », Revue d’esthétique, 1980, n˚ 1&2, p. 62.
[5]  「ドアを開けて欲しいなら、白い前足を見せてごらん」[34]という作品も参照のこと。この作品において聴覚は視覚を中継している。展示会でサウンド・トラックでドアを叩く音はするものの、三百もの出入り口には扉がない。
[6]  Op. cit., p. 89-90.
[7]  かくして、「童話は同時代人には全く関係のないものであるが、童話は時代錯誤的なものでもないし、その魅力は古臭さを感じさせるものもない。その深層において精神的なものを扱っている以上、童話は非時間的なのだ。『人間が克服したつもりでいる間違った迷信的信仰のうちで、今日私たちの中で生き残っていないものは一つとしてない。〔…〕人生の中である日起こったことがすべて、頑なに残っている。原初的な時間の竜は本当に息絶えたのかと人はしばしば疑うことだろう』(フロイト)。」Cf., N. Belmont, op. cit., p. 233.
[8]  旧約聖書 ヨブ記』、第十四章第一節。「人は花のように咲き出ては萎れ、影のように移ろい、永らえることはない。」実際、ウァニタス[地上の物事のはかなさを教訓とする静物画]において、花は時間の経過を象徴していた。
[9]  「好奇心には大そう魅力がありますが、それに負けると、しばしば後悔することになります」[8]に関しても同じことが言える。
[10] 二つの部屋の間に設置された「罪の指輪」[9]がそうである。
[11] この体験談は要するに、アラブの古い諺「住人のいない天国に入るに当たっては用心せよ、そこは地獄だ」(Edward T. Hall, La dimension cachée, Paris, 1971, p. 195からの引用)をめぐる一つのヴァリエーションとなるだろう。
[12] W. J. T. Michel, « Ut pictura theoria : La peinture abstraite et la répression du langage », Les Cahiers du MNAM, n˚ 33, automne 1990, p. 81からの引用。
[13] Edward T. Hall, op. cit., p. 188.
[14] Ibid., p. 99.

[i] <訳者訳注>
[i] やや分かりにくい一文であるが、北原の作品「赤頭巾」において口紅の素材はやや茶色く、この独特の色彩を筆者は糞に見立てている。運命的ともいえる女性的魅力をもたらす口紅と排泄物である糞、つまり妖美と汚穢が共鳴する点に筆者独自の作品解釈が伺われる。
[ii] マルセル・デュシャンの通称「大ガラス」と呼ばれる代表作『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』の転用。
[iii] 入れ子構造とは、劇中劇のように、作品の内部に別の作品をはめ込む手法のこと。
[iv] 「何でも信じ込ませること」と訳出した仏語の言い回しはavaler des couleuvres。couleuvresは通常「蛇」の意味であり、後続の文章「事物を幾分呆然とさせる無言の状態」における「呆然とさせる(méduser)」と呼応している。méduserは固有名詞Méduse、つまり、頭髪が蛇からなるゴルゴン三姉妹の一人メデューサから派生した動詞であるためである。語るという営みが、作品において、観客と事物を共に魔術に陥れることに他ならないことが示唆されている。
[v] ディビュタードは最初の肖像画を描いたとされる古代ギリシアの陶工の娘。古代ローマの高級官吏・博物学者プリニウスの『博物誌』第三十五巻にその逸話が収められている。それによれば、ギリシャのコリントスのある陶工の娘が、夜更けに戦争へと旅立とうととする恋人の姿を身近に止めたいと思い、灯火に照らされて壁に映る横顔を燃え残りの小枝の炭でなぞって描いた、とされる。肖像画の起源についてのこの古典的伝説の特徴は彼女が恋人の姿を描くのでなく、恋人の影を直接写し取ろうとした点にある。
[vi] 『旧約聖書 伝道の書』、第一章第二節より。
[vii] ジャック・ラカンはフランスの精神分析家でパリ・フロイト派の統帥。意識を中心とする自我心理学に対して、ラカンは「フロイトに帰れ」というスローガンのもとに無意識を精神分析の理論的中心に据え直した。無意識が既に言語のように構造化されている以上、人間は言語の意味するものの主となることはできず、逆に、無意識という意味するものの次元こそが人間を人間として構成することになる。

図録『AïKitahara1992-2005』、2006年出版 に収録された文章