フランスの地図を手に取ろう。地色は青、森と山は緑。そこを横切る曲がりくねった道路。フランスとベルギーの国境の両側に並ぶ村々が、二国を分かつジグザグの線とともに、はっきりと見てとれる。
黄色い点が示す個々の村は、実際に横切ってみると、ひとつひとつ異なっていると同時に似通っている。ある村と村を結ぶ道路、道路の先にある村の名を告げる標識、レンガ壁の家々、広場、通り。そして再び、木々に囲まれた道路が次の村へと続き、村の家々、広場、通りはどんどん国境へと近づいてゆく。もっとも村の手前や村を出たところ、あるいは村を結ぶ道路上でいつのまにか国境を越えてしまっていない限り。
フランス、ベルギー間の本当の国境越えは、想像の領域で行われる。越境という行為は、地図上に赤い線で表される目に見える線としての国境を無効にし、国境を不可視とするゾーンへと国境そのものを変質させるのである。そうすることで、決して遭遇されることのない境界を含む空間の横断は、存在しない場所の概念を、場の喪失―失郷症―の表象として、または見えざるものの位相の表象として示唆するのである。その観念は、目の前を過ぎ去るものを捉えた映像を、単純と言ってよければ、単純にほどいてゆくことによって、突然可視化するのである。
フランス側の最後の村とベルギー側の最初の村を隔てる数キロの距離を毎日走るバスから撮影されたような風景が、モニターのスクリーンに次々と立ち現れる。スクリーンの前に立つと、風景を撮影した視線と同じように、あたかもバスの窓際で、風景が通り過ぎるのを見つめているようだ。映像は催眠作用をもたらし、いくつかの音を際限なく反復する回転木馬のメロディーが、その効果をいっそう強くする。
この繰り返されるメロディー、リットルネッロは、木の馬に子供を乗せて回転させる木馬装置のあるパリのとある公園で録音されたものである。このメロディーが風景の映像とともに延々と繰り返される。時にかん高く、時にメランコリックに繰り返される環状の音が、国境を通りすぎても、止まることも、区切られることも、リズムを与えられることもない線状の行程に、まるで幾何学的に呼応する。音楽は、行程を区切り、リズムを与えつつも、この触れ合いも対話もない旅の時空間の行程を決して止まらせることはない。
語りも顔も現れない移動の連続『回転木馬-国境』は、これまでに作家が制作した3つのビデオ作品のなかでもっとも最近のものである。このビデオ作品は、体積と面積を巡る芸術をよりはっきりと結晶化させる。環境インスタレーションまたは建築模型、再生産可能な人工物や、オリジナルなドローイングにせよ、北原愛の作品は、ここ、そしてここではないどこかで、内と外の間で常に展開される間(ま)の位相を映し出す。
(正面からの)抱擁と(身体の)拘束
建築図面が、これから構築されるものを描くがゆえに、見えざるもの表象であるように、北原愛の装置は、間(ま)や周辺、極限、縁(ふち)といった存在しない場所から捉えた世界を構成する。つまり存在しない場所とは、現実世界を生きる身体にとっての通過点である。
2002年に、北原がフランス東部の農地に設置した屋外迷路も同様である。外側から内部が見通せる格子をベースにしたこの作品は、そこに拘束される身体をあらゆる視線にさらす構造物である。『キッシング・ゲート・ラビリンス』に挑む者は、拘束としての限界――この拘束は、限界が、観念としての位相との境界ではなく、目に見える囲いそのものである刑務所のような場における強制的拘束である――に出会い、それが二重の意味での試練であることを知る。
そこに迷いこむ者は、出られるのかどうかさえ示されていない罠にかかるだけではすまない。もうひとり別の誰かがそこにある同じ作品に挑めば、もうひとりの自分との逃げ道のない対立に直面することになる。自分のことを気楽なフラヌール(遊歩者)だとばかり思っていた観賞者は突然、さしたる距離もないところの他者に行く手を遮られる。彼にできることは、目の前の風景を抱くように見つめる視線に習って、同じ境遇の人、同じように罠にかかった人を「抱擁」することだけである。罠の中では、一方が他方の視界を奪い、視界とともに内的な思考さえも遮られてしまうのだ。
もうひとりの自分とは、自分と同じようにこの迷路に迷い込んでしまったまったくの他者、自分と同じように、『キッシング・ゲート・ラビリンス』がかざす唯一の透明性の論理を探ろうという考えを持った、他者の名である。透明なこの迷路は、その「内部構造」が目に見えぬままであるからこそ、よりいっそう透明なのである。固定された柵と可動式の柵からなる装置は、罠としては単純であるが、その内部に人を幽閉することにより、外在する場として機能するという点では、複雑である。
白日の光のもとにさらされていても、この装置は、まるで何も見えない暗闇の中のように手探りの試行錯誤を強いる。2歩前進、3歩後退、散策していると信じていた観賞者は彷徨い、身体は何度も同じ動きを繰り返す。その動きは柵が定める狭い境界に閉じ込められ、観賞者は生に対する絶大な力の認識の虚しさと立ち向かう。隷属を強制する権力を前に、何をしても無力であることに思い至り、装置に入り込むやいなや下僕のようになった観賞者は、その歯車のひとつでしかなくなってしまう。
これが『キッシング・ゲート・ラビリンス』に閉じ込められた者の最終的な体験である。作品が設置されている場所の牧歌的な広大さから見れば取るに足りないような『キッシング・ゲート・ラビリンス』の空間は、予防接種の際に動けないように家畜を閉じ込める柵を模したモジュールの組み合わせからなる。この牛のためのミニマルな囲いを増殖させることによって幾多の「隔離房」を作り、それぞれの観賞者を他者の監視下におく。北原は、他の作品においてと同じようにここでもまた、一望監視システム―パノプティコン―のフーコー的構造を作り出す――言い換えれば、それは近代刑務所の建築装置であり、監視の「原構造」のもとに現代社会を生成するのである[i]。
おそらく、より思いがけなく、しかしながらフーコーのエピステモロジックな分析と極めて同位相にあるのは、北原の作品が思わせるカフカの文学的思考であろう。偉大な小説『審判』の訳者によれば、「『審判』の世界は、裏切る見せかけの世界である、しかし、その世界は、見せかけが見せかけにすぎないと告発され崩壊するとき、そこに隠されていた真実が暴かれることはなく、そこにもうひとつ別の見せかけが立ち現れるという特殊性を持つ。もうひとつの見せかけもまた、最初のものとまったく同様に「自然で本当らしく」、また「もっともらしい」、そして同時に「ありそうもない」見せかけである」[ii]。
Kという文字または関係の戯れ
このカフカの世界は、逆境にある人の置かれている状況を思わせる。扉と囲いによって閉ざされ、それを乗り越えてもまた別の扉と囲いがあるだけ。風景の線状性が音楽の環状性と関連づけられるように、この日本人アーティストの「原立体作品」の不動性とチェコ人作家の語りの動きを関連づけることができる。この対立は共通の弁証法への収斂を可能にする。それは、自らが構築し、自らを閉じ込めることになる構造からの疎外の弁証法である。
さかさまの階段、円柱-国境、牢獄城砦の基礎や遺跡の図面。壁につるされた一連のデッサンとともに北原の作品が提示するのは常に、経験することのできない場所に関する問いではないだろうか。水彩で彩られたデジタルな印刷物は、実現されていないものも含む過去の作品の素描である。それらの作品は、創造行為が偶発性をその断片として備えているため、未完の作品の不確実な支持体であるひとひらの紙が記録する、存在しない場所のもうひとつの表象である。
存在の不確実性が断片として残してきたものを、あるひとつの完全な作品として創造するということは、断片を繰り返すことに過ぎない。未完の物語である『万里の長城』、皇帝の全体主義による建設途上の軍事防衛の建造物。長城は、守るべき民衆を孤立させ、「拘禁」さえする。そして名作『城』。名も権力ももたないひとりの男を犠牲に、没落の途上で留まる名と権力を失った貴族の砦。カフカの作品においては、碑や建造物の提示は、たとえそれが作品のタイトルに現れないときでさえ、重要な意味を持つ。最終的な彷徨のふたつの場を結ぶ階段や世界との断絶の場としての大聖堂もまた同様である。
人間性を奪う行政機関の制度の罠。そこでは全能となった公務員たちもこの制度に隷属化している。その罠に捉えられたヨーゼフ・Kのパラダイムを通して、登場人物たちは内在する迷路における孤独の中で変化する。北原の作品においても、この出口のない通路が、現実世界における想像上の形態を再生産する。世界が我々に課す限界によって自らを規定する前に、我々は、世界に対して抱いている恐れに対して、自らに限界を構築するのではないだろうか。「原内在性」である人間にとって、自らの手で自らのために作り上げた「原外在性」としての世界は、事実、このパラドックスに対応している。これは、我々の恐怖の原因であると同時に、疎外されてもなお、自らのイメージとして作り上げたものだからこそ、その恐怖の認識を保証されている我々を安堵すなわち退屈させるのだ。
我々が我々自身の内面に構築する限界、そして、世界を我々の世界として内在化することを可能にする限界に従って構築された世界。すなわち世界は常に我々による破壊を運命づけられているのである。そして我々は、常に我々に内在する恐怖と拘束の描く唯一で常に同じ設計図に基づいて、世界を再構築する。そうすることで世界は、権力の主体であると同時に奴隷化の対象である我々が、何であるかを教えてくれるのではないだろうか。
青でも緑でもない、死のように沈んだ色によって区切られた行政空間の灰色は、世界に共通である。そこでは番号や名前、検印を待つことで生きることは中断され、積み上げられた書類の迷路の中で行方知れずの書類上では、番号、名前や検印は足りないか、多すぎるのである。この存在しない場所の特徴のない色と同じように無名であるのは、孤独な二人がけの青緑の椅子。北原は、これによって、グレー地の作品の白を際立たせる色彩の戯れと決別する。
(通過)ゾーンと(分割)線
『Border-Chair』は、そのタイトルにもかかわらず、何よりもまず扉である。つまり、たとえ東京で、一時的に作られた壁に展示されているときでさえ、それは2つの室内空間の行き来を可能にする扉である。パリで北原は、その場特有の機能的なオブジェとして制作したため、この作品は廊下と彼女のアトリエを隔てる扉そのものとなった。
中心部がきれいな長方形にくりぬかれた扉には、板材でできた肘掛つきの椅子の座面がついていて、扉のどちら側からでも座ることができる。たったひとりで、薄暗く閉じられた空間である廊下、日常に点在する要素を寄せ集める外と内を結ぶ通路に顔を向けて。あるいは、ひとりでアトリエである開かれた明るい空間、創造のために集められた要素を受け入れる空間に向かって。
常に孤独なのは、自分が観賞者であると思い込んでいる「視る人」である。『キッシング・ゲート・ラビリンス』でのもうひとりの自分との対面の試練を経て、今度は背中合わせという分断によって、もうひとりの自分と接近することになるのである。もうひとりの自分は、自分と同じように存在しない場所としての境界を体験することを望み、「扉-椅子」の向こう側に座っている。昨日の迷路でも、今日のこの境界線の上でも、自分と同じような人、もうひとりの自分と出会うことはできないのである。この「内的オブジェ」が、いくら身体の存在を要求しても、それを身体によって満たすことができないように。また、敷居の持つ通過の場であるという機能を無効化することなしには、その上に留まることができないように。扉という機能を無効化せずには、椅子に座ることができないように。
扉という本来動くものが、動かないものに変えられることによって、不条理な存在になっている。扉は、ある場所から、その向こうに隠されている別の場所への移動を可能にするものであるが、扉が椅子になることで、両側に開かれているにもかかわらず、移動を不可能にしている。こちら側からあちら側へと導くかわりに、この一時的な安息の場は、こちらとあちらの間で立ち止まることを要求する。あたかもある橋の上で留まることなく立ち止まるように。橋とは、外的境界によって区切られたふたつの空間の間(ま)または連結の場であり、それらの空間を隔てる境界の内部は落ち着くべき場ではない。このことが、この作品のタイトル『Border-Chair』が示すように、この作品がどれほどまでに扉ではなくなっているかを物語っている。それを開くことは、敷居を越えるかわりに、境界の位置を変えることになるのだから。
そして、境界を移動するという行為は、線または描線を、ゾーンあるいは面へと変換することであり、限界のこちら、またはあちらへ敷居を移動することは、それまでに存在しなかった空間を作り出すことである。それは、『回転木馬-国境』で無場所的なゾーンとして横切られた地理学的な境界線についても同じである。そのゾーンそのものが横切るものは、分断の線、地図上に赤く引かれた線。その線は、不可視の越境行為によって想像の世界に消えていく。
ハイフンあるいは環の効果
目に視えるものとして、意味を与える名前と作品の関係は容易に現れる。北原が作品タイトルの二つの単語を結ぶためにハイフンすなわち「結合線」を用いる頻度と、彼女が空間的に捉えた「分離線」としての限界の頻出は、巧妙で強固に結びつく。徒歩で横断されるよう作られた、フランスの6つの国境の地図上の面を幾何学的な表面積へと置き換えた6つの立体作品。『15m2の国境』は、これらの作品すべてに共通するタイトルであり、引き続き特定化される。繰り返される『15m2の国境』は、『フランス-ベルギー』から『フランス-スペイン』まで、それぞれ異なった最終部を備えているのである。
ベルギーだけでなく、ドイツ、ルクセンブルグ、スイス、イタリア、スペインが境界線によって提示される。それらはすべて決して出会うことはない限界の空間――北から南までいつも同じように森か山――であり、大陸の国々は、国境の存在にもかかわらず、不可分の総体として組織されている。事実、国境は、地図上で描線によって地政学的に切り取られた風景を示すことはできない。そのため、地面に置かれた正方形や長方形の立体作品は、はっきりとした区別ができないような未分化の外観を備えている。曲面は似通っているが、切り立った表面の面積はそれぞれ異なっている。これらの作品はすべて、地図上の国境に従い北原が制作したものだからである。
それらの作品が描きだすのは、もはや地図に引かれた線ではない、我々の足跡の下の想像上の道程。それら6つの国境空間は、隣接するふたつの国に渡って点在する村々に似ている。唯一であり、なお似通っているこの6つの作品は、起伏に富んだ同じような曲面を呈していて、その上を歩く観賞者は、その線ではない広がり、目には見えない国境の広がりの上をジグザグと歩かされることになる。自らを測量技師のように思っていた観賞者は、小石を敷き詰めた橋を渡るように、6つの境界画定線の空間を横切る。あるいは、6つの断片に分割された、もともとひとつの土地の褶曲からなるはずの連合体の内部の分離帯の上を。6つの断片は、単なる、と言ってよければ、存在しない場所の単なるもうひとつの屈折形である。
イザベル・エルサン
美術評論家、パリ第8大学講師(芸術哲学、写真分析担当)、パリ第1大学講師(現代美術史担当)。
[i] この分析については以下の拙論を参照されたい。« Aï Kitahara. Scènes de surveillance au pays des merveilles », Hors Champ (Montréal), revue en ligne de Société, médias et cinéma, <http://horschamp.ca>, avril 2002. (「北原愛、不思議の国の監視の情景」、『オール・シャン』(モントリオール)社会、メディア、映画をテーマとするオンライン雑誌、<http://horschamp.ca>、2002年4月)
[ii] Bernard Lortholary, Le Procès, Paris, GF Flammarion, 2006, p. 15.(ベルナール・ロートラリ『審判』序文、パリ、GFフラマリオン社、2006, 15ページ)より引用。
図録『How we divide the world』(2007年出版)に収録された文章